スポーツの美しさ 機能美の由来について考える

よもやま話
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美しさって何だろうって僕は時々考えます。
ずっと見惚れてしまう自然や人工物の造形、兵器やスポーツの競技動作、思想。
どうしてだか分からないけど魅かれてしまう。
それが美しさですよね。

スポーツの美しさって色々あります。
100m走の僅か10秒の中にある美しさであったり、フルマラソンや12回戦を戦い抜く選手の心の葛藤、ドラマであったり。

今回僕がお話するスポーツの美しさは競技力にも直結する部分でもある、競技動作の美しさについてです。

ボクシングに限らず、どんなスポーツでもそのトップ選手の動きって「美」を感じますよね。
現役だとロマチェンコ選手のフットワークであったり、アルバレス選手の立ち方、テオフィモ・ロペス選手や井上尚弥選手のキビキビした身のこなし、リナレス選手のコンビネーション。
他競技でもマイケル・ジョーダンやリオネル・メッシのプレーやウサイン・ボルトの走り。
挙げれば切りがありませんが、しなやかで力強い動きには本当に魅了されます。

僕は他人から見て「美しく見えること」がスポーツにおける一つの目標だと思っています。
ボクシングは美しさで勝負するスポーツではありませんが、でもやっぱり僕は美しい動きに魅了されるんです。
美しい動きこそファンの心を魅了して、惹きつけるんだとも思っています。

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違和感

万人が美しいと感じる動きと言うのは、恐らくですが、誰がどの角度で見ても無駄がない動きなんだと思います。

例えばスポーツが苦手な人や初めて実践した人の動きは無駄が多い。
だからその動きを見ると違和感を覚えます。
無意識下にあるの自分の動きのイメージと違うからです。

トップアスリートにはその違和感が少しも起こらない。
人には個々人それぞれに得意な動きと苦手な動きがあり、それぞれ千差万別です。
同じ動作を見て無駄を感じるポイントは人それぞれ違うはずなんです。

つまり万人が見て万人が美しいと感じる動きは、それだけ動作自体に無駄がないということだと思います。

ある目的を達成する為に磨き抜かれた動作の機能的な美しさ。
スポーツの競技動作の『機能美』です。

機能美

美しさの基準は人それぞれ違っていますし、芸術にも色々なスタイルがるので何をもって美とするかは分かりません。
僕は美術的な美しさに疎く、ほとんど理解できません。

ただ自然や機械の機能美は理解できます。
なので、今回は機能美についての僕の考え方をお話していきます。

僕は『機能美』というのは、それがどれだけ無駄を排して目的を達成できるかの程度を表す定性的な量だと思っています。

自動車や飛行機などの機械に機能美を感じる人は多いと思います。
人工的に作られた機械に宿る美しさは間違いなくあります。
自動車や飛行機に興味の無い僕ですら、そう感じるんです。
それは「速く走る」「速く飛ぶ」という目的の為に無駄を排して、統一的にに作り出された為に生じる、機能に由来した美しさだと僕は思います。

速く走る形であればあるほど、人は自動車のフォルムを美しく感じるはずなんです。

スポーツの競技動作もそうです。
選手の技術や戦略が洗練されていて、無駄がなくなればなくなるほどその選手の動きを美しく感じる。
僕はそう考えています。

陸上競技など定量的な測定方法がある競技と違ってボクシングはどれだけ上手くなったのかを測ることがとても難しい競技です。

ある選手の競技動作の美しさが競技力を測る一つの指標となると思います。

僕の目標は井上尚弥選手のように誰がどう見ても美しいと感じるボクシングをすることです。

どうして人は機能美を感じるのか

どうして人は機能美を感じるのでしょうか。
この謎には僕なりの答えがあります。

なのでこれからお話するのは長濱説です。

ちょっと壮大な話になります。
僕たち生物は自然淘汰と性淘汰によって進化してきました。
生き残る為に有利な性質を形成する遺伝子を持った個体が生き残り、集団の中でその数を増やしていくというのが自然淘汰です。
僕達人間に備わっている「怖い」「悲しい」「楽しい」などの感情は全て、生存をベースに形成されています。

例えば糖質がおいしいと思うのは人間の生存において糖質が重要で、それをおいしいと感じる遺伝子を持つ個体はおいしいという感情に突き動かされて、貪欲に食物を探すことができ、より生き残りやすくなるからです。
食べ物がおいしいのだはなく、食べ物をおいしいと感じる人間だけが生き残っているんです。
その生存に有利な性質を作る遺伝子が子々孫々受け継がれてきたんです。

性淘汰は異性から選ばれる為に獲得する形質です。
例えば、脚が長いと速く走れます。
速く走れると獲物を多く獲得できます。

獲物を多く獲得できるオスは家族を多く養えるので、遺伝子を残せる確率が上がります。
脚の長いオスを選ぶ遺伝子を持つメスは子孫を残しやすくなります。
脚が長いオスがメスに選ばれ多く子孫を多く残せるので、その種は平均的に脚が長くなります。

前置きが長くなってしまいましたが、機能美を僕達が感じるということは機能美を感じる先祖の生き残る確率が高かったからです。

以上を踏まえた上で以下の説明は機能美に関する長濱説です。

例えば、より鋭い槍を作れば効率よく獲物を獲得できます。
槍を鋭くするとは、石の凹凸を減らし表面を滑らかにすること、先端を細くすることです。
凹凸が小さいと摩擦が小さくなり、先端が尖ると圧力が大きくなります。
つまり、小さな力で獲物の急所まで槍が届く確率が上がるんです。
鋭く槍を研ごうとする遺伝子が生き残ります。

まだ続きます。
石を研ぐのは大変な作業で、落っこちている石も大きさや形はまちまちです。
ただ漠然と石を見つけて鋭く研ぐのは効率が悪いですよね。

最初から研ぎやすそうな石、滑らかで先端が尖って槍にに似た形状の石を選べる遺伝子を持つ個体は、より速く鋭い槍を完成させられます。
つまり、早く槍を作れるのでその分狩りへ出て獲物を捕らえる確率が高まります。

滑らかで鋭い石を選ぶ遺伝子を好むオスは身につけるものも鋭く滑らかなはずです。
そんなオスを選ぶよう遺伝子にプログラムされたメスは多くの獲物にありつけ、多くの子孫を残すことができます。
滑らかで鋭いものが何故か好きな個体が種の中で増えていきます。

これが原始的な機能美の由来だとするのが、長濱説です。
間違っているかもしれません。

今お話したのは原始的な機能美です。
何故かと言えば、石の滑らかさと鋭さにだけ興味を示すような遺伝子では槍以上の道具が発明された時に淘汰され絶滅してしまうからです。

つまり長く遺伝子を存続させるのなら、どんな道具にでも『合理的な美意識』を応用できる遺伝子が有利です。

それはどんな美意識か。
もう少し考えを深めてみます。

シンプルな構成

例えば自動車や飛行機が速く走り速く飛ぶには、軽くする必要があります。
無駄な機器やセンサーがあると重くなります。
F1カーは軽さを追求し一人乗りの座席と、必要最低限の機能しかありません。

機能美を象徴する代表的な武器である日本刀も無駄な装飾を排して、両手で握ることを前提とした長さと、引き斬ることで加速する重心と重さを前提としてデザインされています。

機能美を感じるものの共通点が見えてきました。

形状が統一され、矛盾なく一貫した目的に元に無駄を排した形や思想に人は機能美を人は感じるんです。
無駄は経験により脳に蓄積された情報と生まれ持った本能により判断されます。
違和感てやつです。

ボクシングの競技動作を芸術の域にまで高める

井上尚弥選手やカネロ・アルバレス選手、テレンス・クロフォード選手の競技動作の機能美を僕は強く感じます。
力強くてしなやかで繊細。

僕の目標は先にも述べたように、上記の選手のように誰もが美しいと感じる競技動作を実現することです。
僕の動きを見て、ボクシングをしている人が真似たくなるような美しい競技動作。

まとめ

スポーツの機能美は芸術。

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Die Hard – ダイ・ハード
この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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