俗に言われる「体が自由に動かせたら最強じゃん?」「体をミリ単位で動かせたら最強じゃん?」について。
コーディネーションが指導現場で神格化される傾向について。
スポーツ科学が定義する「コーディネーション」ではなく、俗に言われるあれね。武井壮さんとかが言うやつ。
武井壮さんそのものは否定しないよ。むしろ好きだよ。
ただし、この言説の不気味さついては言いたいことがあるってだけ。

上の記事では、腸腰筋及び前鋸筋に付随する筋肉が技術体系を規定していること、延いては所謂フィジカルとスキルが不可分であることを説明した。
ボクサーとはボラティリティを取り込みながら独自のポテンシャル勾配を落下すること。
「体をミリ単位で動かす能力」のような考え方が捏造された罪であり、それに付帯するトレーニングが免罪符であること主張をします。
聞いたことありますよね?この手の「アホくさっ」って理屈。
武井壮「体を自由に動かせたら、最強でしょ?」
バカ「体を自由に動かせることは競技能力に直結する!コーディネーションだ!」
バカ2「カタアシダチー、リャウテビヨーン」

死ぬまでやっててwwwww
バカ2「上手くいきません!」
バカ「練習が足らん!」
バカ2「ラダーだ!足を自由に素早く動かせることは競技能力に繋がる!」
バカ2「はい!ダダダダダ(何の意味があるのだろう)」
「自由とは?」「自由に体を”動かせる”とは?」
「体を自由に扱える」を具体的に定義して物理的な実体に引きずり降ろさないなら、それは妄想や空想でしかない。
「体を自由に扱う」と念仏を唱えるのは、スペシウム光線を練習すんのと同じ。無意味に時間を費やす自殺。
アホほど喜んでやってるイメージ。死ねまでやって文字通り自殺すんだろね。それは別にいいんだけど。
往々にしてこの手の宗教は、信者にラダーやらバランスボールやら、使い方のよくわからない聖具を売りつける為の神話でしかない。
結論:「神」を殺し、「現象」を見よ
「自由とは幻想であり、卓越とは『極限の不自由』を完璧に制御することである。」
引用AI
今後「体を自由に動かす」教を論破してくね。信者=儲かる


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