無能と有能
社会を発展させて、その中の全員に恩恵を与えようとしている有能がたったの四万円。にも関わらず彼らは文句を言わずに努力ができる。有能の有能たる所以。
方や、無能はもっと金をバラまけ、減税しろと宣う。自らの努力不足は顧みない。
有能に支払われた金は、回り回って僕の子供や僕やあなたが老人になった時の支えとなります。
無能にバラまいた金は、アルコール臭い息と臭いティッシュに変わるのが精々。
それは回り回って、将来の社会保障費やそれに伴う債務とその利払い費の増大を、さらに、通貨安とそれに伴うインフレを、その解決策としての増税を、延いてはキャピタルフライトと人材の流出を導きます。
あ、既に起こってるか。
社会を発展させる有能はどこからも歓迎されますから、いつでも日本から逃げられます。が、無能はお断りされます。つまり、無能ほど逃げられない。
有能ほど、おかしな現状に辟易して脱出します。
従って、無能に迎合する社会は無能で溢れ、当然の成り行きとして壊れます。
あ、既に起こっているか。
為政者が無能に迎合したら社会が破滅することは歴史が証明しています。
パンとサーカス(羅: panem et circenses)は、詩人ユウェナリス(西暦60年 – 130年)が古代ローマ社会の世相を批判して詩篇中で使用した表現。権力者から無償で与えられる「パン(=食糧)」と「サーカス(=娯楽)」によってローマ市民が満足して政治的無関心になっていることを指摘した。
権力者は市民を政治的無関心の状態にとどめるため、「パンとサーカス」を市民に無償で提供した。
デナリウスは共和政ローマ時代の紀元前211年ごろ、第二次ポエニ戦争の最中に造幣され始めた。当初の重さは平均で4.5グラム、当時の単位でいうと1⁄72ローマンポンドである。しばらくの間はその重さで造幣されていたが、紀元前2世紀末には3.9グラム(理論上は1⁄84ローマンポンド)まで質が悪化した。ネロ帝のころまでこの重さを維持していたが、ネロ帝により3.4グラム(1⁄96ローマンポンド)に減らされた。3世紀末ごろには3グラム程度にまで質が低下していった[1]。当初、その価値はその名の通り10アスとされていた。紀元前141年ごろ、アスの重さを減らしたことを反映して16アス相当に変更された。デナリウスは3世紀中ごろにアントニニアヌスに取って代わられるまで帝国の主要な硬貨として使われ続けた。デナリウス貨は最終的には青銅貨として造幣されたと見られ、270年から275年にアウレリアヌスが造幣させたものと、ディオクレティアヌスの治世の最初の年に造幣したのが最後と言われている[2][3][4]
古代ローマでは、主に軍事費の増大や銀の供給不足を原因として、深刻なインフレーションが発生しました。特に3世紀の軍人皇帝時代には、貨幣の品位低下や乱発によって物価が急騰し、市民生活に大きな影響を与えました。ディオクレティアヌス帝は最高価格令を発布するなど対策を試みましたが、効果は限定的でした。
引用グーグルAI
市民の政治的無関心(堕落)→政治腐敗→格差拡大→不平不満増大→ポピュリスト台頭→バラマキ→インフレ→責任転嫁合戦→戦争
大人の他人任せが包含する政治的無関心が次世代の困窮を導き、ポピュリストがその若者の不満を取り込んで勢力を拡大。
ポピュリストは、思想がないかそもそも「思想」という概念すら持たない、すなわち、右も左も民主主義も歴史も知らない、厳しい言い方をするなら、何も知らないアホの票を吸収して勢力を拡大した、あるいはしていると推察できます。
投票権を得たばかりの二十代ならいざ知らず、何十年も政治に関与している老人や僕のような30代以上が極右に熱狂しているのには寒気がします。
某国の〇〇ファーストは明らかな極右思想。似たようなのが日本にも現れたんだとか。
まあ、それ自体は悪くない。言いたいことが言える社会は健全だと思う。色んな思想と主張が認められるべき。ただし、見る人は歴史的な視点からそれを評価すべき。甘やかしや責任転嫁を大人が歓迎するのは不健全。
歴史的に極右の台頭は戦争への助走。
1929年秋に世界恐慌が発生すると、各国は金本位制を放棄した。1930年代、各国は植民地を抱え込みブロック経済化を進めた。それぞれのブロックは通貨圏ごとに分かれた。
このようにブロック化で列強間が経済的な分断を進め、自ブロックの防衛と他ブロックへの進出へと傾斜したことは、環境面からも要因面からも[要出典]第二次世界大戦の原因のひとつになった
ホロコースト(ドイツ語: Holocaust[注釈 1]、英語: The Holocaust、フランス語: La Shoah、イディッシュ語: חורבן אייראפע、ヘブライ語: השואה)とは、第二次世界大戦中にナチス・ドイツがドイツ国内や占領地でユダヤ人などに対して組織的に行った絶滅政策・大量虐殺を指す。当時ヨーロッパにいたユダヤ人の3分の2にあたる約600万人が犠牲となった[1][2]。
差別は殺し合いになるからダメだって義務教育でやらなかったけ?
まあ、バカは殴られて大怪我しないと分からないのかも知れない。
政治家や学者がやたらと無能に優しいのは、彼らが無能を知らないからではないかなと。
エリート道を自力で突き進んできた学者や政治家は、世襲は除外するとして、無能とは出会わないか、あるいは忘れてしまっている。
彼らは、人類はみな彼らと同じように考えられるとか、社会に貢献したいとか、あるいは真理を探求したいとか思っていると勘違いしている。有能な集団で何十年も過ごすと、きっとそうなってしまう。
自分と同じように、無能が難しい論理を理解できると勘違いしている。だから甘やかす。
結論。体の大きな幼児に社会を任せたら終わる。リーダーは無能に媚びる人ではなく、無能を説得し有能に協力させる人。




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