建設的パラノイア

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著者のダイアモンドが定義している「建設的パラノイア」が面白いので共有します。非合理に見える文化への解釈です。
※ジャレット・ダイアモンド…まさか…ッ…スタンド使い…ッ

ダイアモンドはパプアニューギニアの奥地に住む伝統的な民族の奇妙な風習と遭遇しました。
「老いた樹木には近づかない」

現地人は、それが朽ち果てているかどうかとは無関係に、「古い木には近づきたくない」と言います。

現代社会に生きるの僕たちからすれば、奇妙な風習、すなわちパラノイア(妄想)です。
しかし、ダイアモンドは彼らと一緒に過ごす内に、その妄想が”建設的”であることに気が付きました。

現代社会では大きな樹木の倒壊に巻き込まれる確率はほとんど0です。
しかし、樹木に囲まれているパプアニューギニではそうではない。毎日そこを歩いて食物を採集する生活をしていると、一年に何度かは遭遇する。十年に一度程度の頻度で人が樹木の倒壊に巻き込まれて怪我をします。故にその記憶は文化的に常に保存されています。
また、そこには病院はありません。怪我は死か障害を抱えて生きることを意味します。

だから、彼らは現代人が”妄想”と思える程度の確率を恐れているわけです。すなわち、彼らの妄想は彼らの住環境においては”建設的”なのです。

現代なら、シートベルト信仰や飛行機の墜落を恐れることが、建設的パラノイアの一種かと思います。交通事故が起こる確率はかなり低い。しかし、大半の人はシートベルトをします。子供がそうしないなら激怒します。パプアニューギニアの人からすれば、それはパラノイアの一種に見えるかもしれません。

パプアニューギニアの伝統的な民族が古い樹木を遠ざけるのは、僕達が自動車事故を警戒するようなものなのだと感じました。

年功序列や上下関係にやたらとこだわる儒教的な習性へ、建設的パラノイアの視点から解釈を与えてみます。

僕たちは情報をネットで手に入れます。本も用いますが、欲しい情報がその本にあるのかはネットで調べます。情報の取得にほとんどコストがかかりません。

しかし、ネットが普及する前はそうもいきません。完全な手探りはコストがかりりすぎます。手がかりは年長者です。彼らは経験的に若い人の欲しがる情報を知っているか、それを獲得する方法を知っています。すなわち、過去は彼らの機嫌を損ねるわけにはいきませんでした。大損です。上下関係を重んじる必要があります。

大学の大衆化や義務教育もそうですね。ネットが普及した今となれば、大金と時間と面倒な人間関係という精神的コストを払ってまで、市販されている本の内容を学びにいくなんてのは狂気の沙汰です。僕の目には完全なパラノイア≒強迫性障害に映ります。今はネットでポチればその瞬間に勉強を開始できますから。

しかし、それらが整備された当時はネットがありませんでした。そうする以外に体系化された知識を学ぶ手段がなかったのです。その記憶が尾を引いているのだと思います。

ただそれだけの価値です。安定した仕事云々も同じような建設的パラノイアだと僕は感じます。

今はYouTubeには東大首席や海外の数学教授などが提供する質の高い、無料の情報があります。大学へ大金を払って手に入れる以上に体系化された情報が手に入ります。

パプアニューギニアの人たちが古い、しかし倒壊しそうにない樹木を異様に恐れる「建設的パラノイア」と同じだなと。彼らはバカなのではなく、僕らが交通事故を過大に恐れてシートベルトを着用するのと同じこと。義務教育や大学進学を神格化するのと同じようなこと。

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Die Hard – ダイ・ハード
この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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