【モーダスポネンス】単純で妥当な論証 【前件肯定】

暇つぶしに見て

論理的な論証とは何かを前回学びました。
それは「前提が真であれば結論が真となる「妥当」且つ、前提が全て真である「健全」な論証のことでした。
妥当性は論証が形式的に正しいかどうか、健全性は具体的に前提の命題が真であるかどうかが焦点です。

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前件肯定

概要

モーダスポネンス】
ラテン語modus ponens、MP)とは、論理学における妥当で単純な「論証」である。ラテン語で「肯定によって肯定する様式」の意。

推論の最も典型的な形式であり、一般に次のような形式である。P ならば Q である。P である。従って、Q である。

論理演算の記法では次のようになる。
((P→Q)∧P)⊢Q

ここで、⊢ は論理的帰結関係を表す。

Wikipedia

直観的にも妥当な感じはしますし、論理的にも前提の命題(P→Q)とPが真ならば結論も真になる妥当な形式。もう少し直観と論理的な妥当性を実感するために例で考えます。

【例】
以下にモーダスポネンス的な文章の例を示す。

今日が火曜日なら、私は働きに行く。
今日は火曜日だ。
だから、私は働きに行く。

この論述は正しい。しかしそのことは論述に含まれる命題の各々が正しいかどうか(真であるかどうか)とは無関係である。モーダスポネンスとして「健全」な論述は、その結論が真となるいかなる状況に於ても、全ての前提が真であるべきである。論述が正しくとも前提の一部が真でない場合には「不健全」となり得るのであり、論述が正しくかつ全ての前提が真の場合には「健全」である。

ほとんどの論理体系でモーダスポネンスが採用されている。論証がモーダスポネンスで、その前提が真なら、その論証は健全である。前提は真である。従って、その論証は健全である。

Wikipedia

Wikipediaの例の「今日は火曜日だ」の部分が「今日は水曜日だ」とか「だから、私は働かない」となった場合、推論の妥当性は失われます。本当に今日が「今日が火曜日だ」なのかと本当に「私は働きに行く」のか真偽は問うていません。
妥当な形式の推論の前提となる命題が全て真であると論証できた場合、「健全な論証」であると言えます。この宇宙における「健全性」は対象にしていません。あくまでも論理学での定義で、そこでの議論ではこれを疑うことは許されません。

例2)
長濱陸ならボクサーである。
あの男は長濱陸である。
ならばボクサーである。

前提となる命題の真偽は問いません。
「あの男は長濱陸である」が真であるなら、「あの男はボクサーである」は真となる妥当な推論。
「長濱陸」の定義に「あの男」が当てはまるかは別の問題で、推論の健全性を要求されれば証明が必要になります。

以下の論証は妥当だが、健全ではない。

全ての動物は飛ぶことができる。
豚は動物である。
従って、豚は飛ぶことができる。
大前提は実際には偽であるため、この論証は妥当だが健全ではない。

Wikipedia

本当に全ての動物が飛べるかの真偽は問いませんので、この推論の形式は妥当です。
しかし、前提に誤りがあるので健全な推論ではありません。

後件肯定

「後件肯定 」妥当でない推論の形式。

この形式は論理的に妥当でない。言い換えれば、この形式では前提が真であっても結論を導く推論の構造が正しくない。「後件肯定」の「後件」とは、大前提(条件文)の後半部分(上の場合、「Q である」)を指す。小前提は後件を肯定しているが、そこから大前提の前件(「もし P ならば」)を導くことはできない。
後件肯定は演繹としては間違った推論方法であるが、アブダクション(仮説形成)においては必須で使われる。

例1)
ある人がフォートノックス(米国連邦金塊貯蔵施設がある)を所有しているなら、その人は金持ちだ。
ビル・ゲイツは金持ちだ。
従って、ビル・ゲイツはフォートノックスを所有している。

例2)
私はインフルエンザにかかっているとき、ノドが痛くなる。
今、私はノドが痛い。
だから私はインフルエンザにかかっている。

Wikipedia

前提の具体的な命題の真偽は無関係に”論証の形式”に妥当性があるかを見ます。
ビルゲイツと私は P ⇒ Q の Q(後件)は満たしますが、前件 P は満たしません。

「ビルゲイツがフォートノックスを所有している」か「ビルゲイツが金持ちかどうか」の命題の真偽は問わず、この形式(後件肯定)の論証であった場合は常に妥当ではありません。
仮に「ビルゲイツがフォートノックスを所有している金持ち」であったとしてもです。

「ビルゲイツがフォートノックスを所有している」ならば「ビルゲイツは金持ちだ」という推論の形式だったなら前件肯定なので前提の具体的な真偽は問わず妥当な推論となります。つまり、この形式は妥当な推論ではない、と論理学では定義してしまったのです。
あくまでも論理学の「妥当」ではないの定義。地球のルールが通用しない地域における「妥当」の定義を満たしているかは問いません。つまり、あなたや僕にとっての「妥当性」ではないということですね。

論理学における後件肯定はアブダクション(仮説形成)としては有用なようです。
「ビルゲイツが金持ち」ならば「フォートノックスを所有している」、「ノドが痛い」のなら「インフルエンザである」という”仮説”が立てられます。
仮説を元に論理的に妥当且つ健全な方法で論証できた場合、論理学的には仮説が正しいことになります。真実は知りません。あくまでも論理学的なルールです。

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Die Hard – ダイ・ハード
この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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