バベルの塔は、旧約聖書の創世記に登場する、人類が天に届く塔を建設しようとしたという故事です。この塔の建設は、神の怒りを招き、人々の言語を混乱させて各地に散らされ、塔の完成を妨げたという物語です。
引用AI
現代のバベルの塔はインターネットないしSNS。少し前はテレビやラジオ。近代なら印刷。古代なら文字。
バベルの塔(テクノロジー)を建設すると、有り体に言えば、知能などの生来的な格差が社会の価値観を分断している事実を顕在化させす。つまり言葉が通じなくなります。
SNSが典型。
そこでは同じ日本語が話されていますが、前提となる経験や知識、遺伝的な能力の差から、意思疎通が困難になっています。
大衆にリーダーの言葉、例えばホリエモンや柳井正の言葉は通じません。だから炎上する。そうなるのは彼らリーダーと大衆の能力や経験知が非対称だからです。
茂木先生はリーダー(アルファ)とフォローワー(ベータ)には生理的な差が生まれていると言っています。
フォローワーは前頭葉の機能が弱まる。すなわち所謂思考停止が現象として起こる。
例えば日常会話などの浅い部分では意思疎通できるでしょうが、より深い部分となると、リーダーとフォローワーは生理的に意思疎通ができないのです。
ホリエモンは大衆の言葉を理解するが、大衆はホリエモンの言葉を理解できない(非対称)。
数学者は小学生の算数を理解するが、小学生は数学者の数学を理解できない。
記号としては同じ「1+1=2」を見ていても、それに抱く意識内容には埋めがたい差があります。
これがリーダーとフォローワーの間にある非対称性。これが社会の溝を広げて階級闘争を演繹している。
また、ダニングクルーガー効果によれば、人はその能力が低いほど自分を過大評価します。つまり、無能ほどコミュニケーションの非対称性があることに気がつけません。
SNSはバベルの塔。テクノロジーが潜在的なコミュニケーションの非対称性を顕在化させ社会を分断することを伝える寓話。


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