コペルニクス的転回
高速手打ち(攻撃)ができるから、即座に次の手へ移行できる。すなわちカウンターやディフェンスができる。
ディフェンスやカウンターが苦手だと感じるなら、その技術自体にできない原因を求めるのではなく、少し視野を高く、あるいは遠くしてみて、別の視点からその問題に解釈を与えられないか、と考えてみてください。きっと、見落としていたヒントが見つかるはずです。
より抽象的に考えるなら、理想とする技術やスタイルが実現されない理由を探す場合に、「技術」と認識される空間の外に、それを解決する可能性を見出す努力をするということ。
例えばスピードやパワーがない原因をあなたの身体的な特徴に、すなわち筋肉や才能に求めるのではなく、その視野を広げて、「速い(強い)技術」について考えてみるということです。
速さや強さを生み出すのは、所謂筋肉だけではありません。視野を広げてみると、火事場の馬鹿力や闘争・逃走反応という視点が得られます。
集中力を司るホルモンや眼球の使い方に原因を求めるのであれば、あなたが上手くいかない理由の上手い説明が得られるかもしれません。
睡眠や栄養は足りていますか?あるいは「集中」という概念を聞いたことがあるだけで実際に体験したことがないのでは?集中しているとは、つまりどういうこと?没頭した経験は?子供達はどんな風に物事を覚える?動物は?
瞑想なのどの脳波の差に、その問題を解決するヒントがあるかもしれません。
あなたの練習環境、家庭環境、職場環境が、ボクシングが上手くいかない原因である可能性も否定できません。
環境を変えたらすぐに結果が現れた、という話は聞いたことがあるはずです。
本能はコストとリスクを認知できなくする
ヒトは簡単な物語で現実を解釈しようとします。
難しい問題を解こうとすることは、大きなコストとリスクを伴うからです。それを避けようと、本能は短絡的な論理を好みます。魔女狩りやホロコーストなどの差別や陰謀論は、この性質が導く悲劇の雛形てす。
現象は様々な要素の絡み合いで起こります。一つの要素だけでは説明できません。今あなたが向き合っている問題は、その視点を少し変えてみるだけで、その形が変化するかもしれせん。
視点の転回ができず、「こうあるべき」に囚われてしまうのが所謂バカです。
誰かの言葉をきっかけに、対象を見る視点が変化し、その瞬間に大発見をした、という発明家や芸術家、企業家の話をあなたは聞いたことがあると思います。
仏教哲学なら「執着(≒煩悩≒認知バイアス)を捨てろ」です。ブッダは視点を変えて解釈してみろ、と信者に解きました。
イエスはユダヤ人だけの宗教を、全人類に解放しました。それが当たり前の僕達には、何が凄いのかを理解することは難しいですが、当時としては誰も思いつけないような視点の転回だったのです。
今では当たり前となっている、ダーウィンの新たな視点の発見もそう。世界を見る新たな視点は、世界を作り変えました。
今の科学を根底から崩壊させるような視点があったらどうしますか。ダーウィンがやったようなことを、明日やる人が現れない保証はありません。その時に僕達はようやく、宗教をやっていたことに気が付きます。
それくらい、ヒトの認識では現実を正しく捉えることが困難です。
また、一面的な視点に固執すると、終着点は根性論だけです。
コペルニクス的転回
発想を根本的に変えることによって、ものごとの新しい局面を切り開くことのたとえ。 [由来] 一八~一九世紀のドイツの哲学者、カントの「純粋理性批判」第二版の序文から。 自身の哲学がものごとのとらえ方を逆転させたことを、コペルニクスが天動説を捨てて地動説を唱えたことにたとえています。
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