価値と意味の認識
人は比較により価値と意味を認識します。比較は変化と言い変えることもできます。
ユーチューブでは外国人が日本の良さを教えてくれます。それができるのは、彼らが外国という日本と比較させる対象を深く知っているから。
日本人が日本の良いところ、あるいは悪いところを彼らに教えてもらう必要があるのは、その大半が日本のことしか知らないから。
同じように、毎日同じボクシングの練習を繰り返している場合は、その練習の価値や意味の認識が起こりません。
仮にあなたがファイターであるなら、普段はしないアウトボクシングをあえてしてみることを勧めます。
あなたはアウトボクサー視点でボクシングを眺めることができます。その景色はあなたのファイタースタイルを強化するヒントを与えてくれるはずです。アウトボクサーがファイターをやるも然り。
他のにも、例えば、普段は教えてもらえない人にお金を払って教えてもらう。それは普段のとはタイミングも距離も違うものとなります。
その違和感はあなたに普段のようにできなかった理由を考えさせ、技術を改善するヒントを与えてくれるでしょう。
両者のミットの持ち方や言動を比較して得られた差は、それを導く価値観や技術論を逆算する足場となります。それはあなたがよりボクシングを理解するのを助けます。
また、複数の技術論や価値観の比較は、あなたにその意味と価値を認識させ、二つの間を埋めるような、より合理的な解を導かせます。
それは同一のトレーナーと同じ日を繰り返していたら気が付けないこと。
いつもと違うサンドバッグを使う。あえて使い慣れたものを手放す。
重く、打ち慣れたサンドバッグから、軽く動き回るサンドバッグへ移行した時の、微妙な差を違和感として感じられることは、あなたの下に技術的な合理を引き寄せてきます。
他のボクサーのグラブを借りてみると、握り心地の悪さを覚えます。その情緒は、その差を生み出す理由をあなたに考えさせます。
グラブの癖から、その持ち主の握りを推測できます。さらに、そのボクサーのパンチを見れば、握りとパンチの相関関係が見えるかもしれません。
また、それを深めて考えることは、あなたに握りとパンチの間に現れる規則性を認識させ、重要な因果関係を発見させるかもしれません。
強いボクサーと周りにいる平凡なボクサーが持つ規則性を抽出し比較することは、その明確な差を認識させます。例えば、骨格やパンチのスイング方法、軌道や立ち方など。
認識した規則とそれを生み出す原因を追跡することはあなたに競技力を向上させるヒントを与えます。
賢い人と愚かな人を比較することは、人の認識規則とそれが生む作用を認知させ、愚かさからあなたを遠ざけます。
試行錯誤
比較が、認識とそれに伴う情緒を呼び、対象の価値と意味を理解させます。
比較を起こすには様々な方法に挑戦すること。すなわち試行錯誤。
試行錯誤が対象間の差を認識させ、それは感情を刺激し、思考を呼び覚まします。
同じことの繰り返しは、それが如何に非合理であったとしても、本能的に安心します。
失敗を恐れて試行錯誤を遠ざけることは、認識の仕組み上は愚かさを導きます。
反復練習では比較の認識が起こりません。すなわち思考が起こりません。思考が起こらないとバカなります。すなわち反復練習を無条件に正しいものとしてマンセーするバカは、同じようなバカを生産します。
バカの再生産です。バカは物事の価値を疑えません。すなわち、バカを生産する価値観は、外部からそれを破壊する人が現れない限りは、仕組み上はずっと保存され、バカを生産し続けます。
努力することは否定していませんよ。その方法や効果を検証せず、盲目的にそれを信用すること否定しています。
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