マイク・タイソンのアッパーカット
拳の向き
タイソンのアッパーカットの拳の角度に注目してください。体の軸に対して平行に近いのが分かると思います。
アッパーカットを打つ時には指は上を向いているように見えます。
しかし、よくよくその流れの全体を観察すれば、それは体の軸が傾いているからそのように見えているだけだと理解できます。
上のマイク・タイソンの動画ように、流れ全体を通して見るなら、アッパーカットは体の軸を傾けたフックです。
前腕のしなりで上へ向けて石を投げた時のように、マイク・タイソンの前腕がしなっているのが分かるはずです。つまり上へフック(投擲)しています。
全体として見る
ヒトは全体を全体として認識できません。しかし、それができると錯覚しています。動画を静止画として、立体を平面として切り取ります。そうやって流れの中に縁起として起こる現象を消失させます。
ボクシングジムが「基礎基本」「反復練習」という価値観でボクサーのボクシングを静止させ、消失させているようなこと。義務教育が子供の豊かな情緒を静止させ、他人の痛みを理解しない不感症のバカを量産しているようなこと。
ヒトの認識の原理とそれに気が付けない性質が、様々な社会問題の根底にあるだろうと推理できます。
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関係によって存在が定義される = 縁起
前回の動画の続きが昨日アップロードされていました。見てみたら僕の考えと似ている、というか同じでした。 関係により存在が生じる 縁起 上の動画では人の記憶を説明しています。記憶は細胞単体に記憶されているのではなく、細胞と細胞の関係によって定義...
矛盾の認識
論理的に矛盾する関係(論理)ってどんなのがあるたまろうとふと思って考えて見ました。 矛盾は命題の如何に関わらず恒に偽となる式。例えば A∧¬A=⊥ 上の論理式は命題の真理値にかかわらず恒に偽となる論理式。つまり恒偽式=矛盾=⊥です。 この推...
流れを流れとして捉え非合理を遠ざける試みは「一は全、全は一」や「縁起」「あるがま」「考えるな、感じろ」などなど、世界中の哲学の根底にあるものだと感じます。
ヒトの認識には、下に載せた画像ように、流れの中に発生したアッパーカットの “打ち終わり” の “腕の形” だけが切り取られて映されます。
ヒトは、現実の三次元空間を二次元で認識し、脳内で再び三次元へ変換し直す処理を常に行っています。この過程で現実が歪められてしまいます。
ジャブ、フック、アッパー、ストレートというマトリックス
パンチはパンチです。フックやアッパーなんてのは便宜上、パンチの軌道に名前をつけただけ。存在はしません。 同じ動作です。仮に上記の概念がなければボクサーは制約から解き放たれてもっとボクサーになれると感じています。 パンチのスイングを全て統一で...
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