モハメド・アリのプルカウンター。
プル≒プルの文脈
「プル(引く)」と形容されているので、頭を引いて打つパンチと誤解してしまいますが、厳密にはほとんど頭は後ろへは引かれておらず、むしろ頭は横へズラされています。
ただ、確かに引いている(プル)ようには見えるし、また、主観的にも引いているだろうとは推理します。
「プル」という表現が”普通に”受け入れられている事実と、僕の主観的な感覚を一般化するなら、この手の矛盾はヒトの自然な錯覚であると結論できます。
以下は、プルなんだけど、プルにはなっていない理由を考察します。
アリは、頭を引いてディフェンスする場合でも胸椎が伸展しません。その後弯は保たれます。
姿勢反射が転倒防止の為に腸腰筋を強く収縮させているからだ、と考えられます。
この場合の重心は、股関節から床へ鉛直方向へ引いた直線の近傍に配置され、体のバランスが安定します。
従って姿勢反射の力みが抑えられ脱力でき、筋力をフットワークやパンチなどの避けた後の動作へ即座に動員できます。クイックに次の動作へ以降できる、ということ。
以下は、アリの「プル」を抽象化した図。
後ろへ仰け反ってはいるのだけど、重心の位置は一つ目の画像のようになっているのだろと。
重心の位置が二つ目のようになる仰け反り方(≒胸椎の伸展)をすると、体を後ろへ押し倒そうとする重力に拮抗させる為に、体を力ませる必要があります(≒反射的な力み)。
以上から、アリのようなカウンターの実体には腸腰筋(≒大腰筋)があるだろうと推理されます。
逆に腸腰筋が弱い場合は、「プル」で本当に「プル」してしまうことが、姿勢反射を誘発し、次の動作へ移行できない、すなわちカウンターが成立しない、と言い換えられます。
また、この論理を抽象すればカウンター全般に一般化できるだうと。
さらに、「カウンター」という技術を抽象するなら、「ボクシング」と言い換えられるのようにも感じます。
仮にそうできると仮定するなら、それはボクシングの競技力を規定している実体であるとも言い換えられます。
文の読解
アリの主観的な感覚は
「頭を相手の射程へ晒し相手のパンチを誘う。相手のパンチを引いて(プル)ディフェンスしカウンター」
だろうと推理します。
自動システムによる自動制御は、意識下には顕在化しないので、主観的な観測と客観的な観測との間には差が生まれてしまいます。
この論理を抽象するなら、三流は、一流の発言を真に受けてはいけない、と結論できます。
一流と三流とでは、暗黙的な前提が全く異なりますから、同じような発言でも、その含意が異なります。
一流「反復が大切」
一流「筋トレが大切」
三流「反復が大切」
三流「筋トレが大切」
今回のプルカウンターに限りませんが、彼ら一流と同じような技術の習得を目指すのなら、その因果関係を掘り下げて、その技術体系の実体が何であるのか、を推理しなければなりません。
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