キリスト教徒はキリスト教という枠組みの中から資本主義や科学を、仏教徒は仏教という枠組みから資本主義や科学を観察します。
逆もしかり。資本主義という枠組みにいるから宗教の枠組みを比較して研究できます。
自分の世界を持つから、それとの比較により外の世界を認知することができます。自分という存在を定義するから、他人の存在を定義できます。
そして、恐らくはこれが賢者の思考方法です。
自分という枠組み、つまり独自の現実の認識となる世界観を持たない場合、その外側との比較は起こりません。
与えられた枠組みの中でなら、どれほど緻密に考えられたところでそれは賢さとは程遠いものだろうと思います。
つまり、賢く振る舞うためには自分自身の枠組み=世界観や哲学が必要だということです。
他人と自分の現実の認識の差を埋める論理的な展開作業が、現実をより理解しやすいものへも転換してくれます。
それはつまり、他人を認めるということでもあります。
まとめるとぉ。
自分自身を知り、他人を知る人が賢者。
二項関係によって現実を認識する人の性質ですね。あらゆる枠組みの外に出ようとする哲学者の知性がずば抜けている理由。いや、知性がずば抜けて高いからあらゆる枠組みの外へ出られると言う方が正しいか。
その為の合言葉は「白ウサギを追え」。
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