向上心と依存心

メンタル
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依存心からの脱却

「あれもこれも」と俗に言われているような、ボクサーやアスリートとして正しい行為に忙しく取り組むのは、用意周到だから?
それとも自分の行為と信念以外の何かに期待しなければ立っていられないから?

僕が大切にしている価値観「対応力を高める」とは、色んなことができるようになるということ意味します。でもそれは多くを抱える為にではなく、「パンチ力」「スピード」「技術」「我慢強さ」といった、「自分とこうなのだ」「自分の長所はこれなのだ」という不要な執着を捨てる為の準備として要求されます。

この思想は僕の根底にある哲学が元となっています。

練習量で優れば…
体脂肪を低く筋量で優れば…
サプリの知識をつけて栄養をしっかりとれば…
このトレーナーなら、このジムなら…

これらは用意周到なのではなく依存心なのかもしれません。
自分自身の心を見つめ、正しく評価できる必要があります。そして僕がそうであったように、残念ながら大半は依存心に駆動されているはずです。

相手の筋量と自分の筋量を比較して一喜一憂したり、当日の体重を比較することに安心を見出してしまうのなら、それは依存心にほかなりません。

自分自身がやるべきことをやったと真に感じるのなら相手との比較は必要ないはずです。

依存心は偏った弱い心

依存心は子供がそうであるように心が自立できていないのことの証明です。

例えば体重や体脂肪率、筋量などの目に見える数値で相手と自分を比較してしまうのは、自分自身の信念、哲学ではなく、誰かに植え付けられた客観的な固定観念の方を信用してしまっているから起こります。

主観的な自分の正しさを証明する為には、客観的な数値の裏付けは必要ありません。自分は正しいことを積み重ねたと”感じる”ことのみができます。

偉大な事業の創業者達が初期の数字を度外視できるのは、きっと主観的な正しさを感じているからです。

客観的な正しさを積み重ねる依存心は常に脆弱さを内包しています。

客観的な正しさを追うのは、誰かに操られ踊らされているのと変わりません。糸が切れたらその人形は立ち上がれなくなります。
強迫観念に駆られ「勝つためには客観的にこうしなければならない」と行動することは、自らを操り人形のように脆弱にすることだと換言できます。
内部の原動力に駆動された、自律した人間は人形使いの手を必要としません。

用意周到さは偏りのない強い心

自らの心の底から湧き上がる主観的な欲求を信じることが、心の自立を助け依存心から開放してくれます。

頭で考えるのではなく、腹の底から込み上げてくるワクワク、考えると動かずにはいられないことこそが本当に必要なことです。

言葉や目に見える形で表そうとするから「心」が肉体から離れていきます。しかし人の真の強さ、原動力は心にあります。

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瞑想のやり方

Die Hard – ダイ・ハード
この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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