自立した大人とは自我同一性を獲得した人のこと。”自ら”の経験に由来した、何を大切すべきかという善悪の基準を持ち、”自ら”の価値観を実践する人のこと。
アイデンティティ = 魂
SNS大衆社会
僕がこのようなことを考えるようになったのはSNSをやるようになってから。
始める前は「こんな子供じみた遊びは大人のやることじゃねえ」と考えていました。が、使ってみると自分の思想と行動を低コストで発信できることの威力を感じさせられました。僕に共感する応援団を集めることで一種の群れを形成でき、それが僕のオスとしての自信を形成しています。
しかしその威力を体感する一方で無関係の他者を攻撃する、理解不能な人々がいることにも気が付きました。
この理解不能という気持ち悪さをどうしても解消したくなりました。
心理学や社会学、宗教や歴史にそののヒントがありました。謎の攻撃性を持つ彼らは、人の持つ普遍的な性格とそれが作る群れの構造から、自然に演繹される存在なのです。風が吹けば埃が舞うのと同じで、人の群れが巨大化した大衆化社会における自然現象だと理解すれば、いちいち彼らに腹を立てなくなります。何を言われても「あー風が吹いてるなあ」です。
理性と本能の調和を目指す
閑話休題。
SNSの罵詈雑言は自我同一性の獲得が遅れてしまった人達のもので、恐らく彼らは軽度の多重人格症じゃないかと思ってます。
他者の価値観に心が埋め尽くされた結果、人格を形成する潜在意識(主観)と顕在意識(客観)の調和が完全に乱れてしまったんです。心が分裂していることを彼らは不快に感じていますが、それに気がついていません。自分の欲求が実現できず、他者から承認されない怒りをネット越しにぶつけているわけです。
誹謗中傷が本当に立派な行為である自覚があるのなら実名でやれるはずですが、彼らはそうはしません。それが罪の意識の現れです。悪いことという自覚がありながら、やめられません。匿名で客観性が弱まると抑えつけられていた主観が暴走してタガが外れるのだと思います。
解離性障害は本人にとって堪えられない状況を、離人症のようにそれは自分のことではないと感じたり、あるいは解離性健忘などのようにその時期の感情や記憶を切り離して、それを思い出せなくすることで心のダメージを回避しようとすることから引き起こされる障害であるが、解離性同一性障害は、その中でもっとも重く、切り離した感情や記憶が成長して、別の人格となって表に現れるものである。
子供の内か、思春期か、あるいは成人してから、何かのきっかけでバーストしてコントロール(自己統制権)を失い、別の形の苦痛を生じたり、社会生活上の支障まできたす。これが解離性障害である。
Wikipedia
統合失調症(とうごうしっちょうしょう、英語: Schizophrenia、ドイツ語: Schizophrenie、略: SZ)は、自分が他者からコントロールされていると考え、思考、知覚、感情、言語、自己の感覚、および行動における他者との歪みによって特徴付けられる症状を持つ、精神障害の一つである。
Wikipedia
SNS誹謗中傷は統合失調症患者の被害妄想の典型だと思います。拡大解釈と早すぎる一般化。詭弁のテンプレ。
SNSや家庭、職場、友人関係などで人格を使い分けることにより起こる精神の軽度の不調だと思います。大変なことになる前に人格は統合しましょう。家庭内暴力のように閉じられた空間で見せる凶暴性、人格の二面性も、精神の分裂という仮定から演繹できると思ってます。
何が好きで何が嫌いか
上のWikipediaの説明は精神が常に他者(実体のない群れ)に依存した状態に近いのじゃないかと思います。
コロナ同調圧力からのNISA、仮想通貨等に見られる投機加熱による資産バブル。からのインフレ。大体この後は戦争。何度も起こっているこの歴史の流れは群れが膨張し個人の自我同一性の獲得が遅れた大衆化社会という文脈から語れるのではないかと思います。次の局面ではヒトラーのような陰謀論者、大衆迎合主義が台頭し大衆をコントロールしていきます。既に欧米はその兆候が出ているようにも見えます。日本のガーシー当選なんかは大衆化した社会の典型例でしょう。ネット社会が新しいことを起こしているのではありません。古くはローマ時代からの典型が加速度を増して起こっているだけです。
都市化が進み群れが大きくなりすぎて個人の自我同一性の獲得が遅れた大衆化社会では善悪の基準が場の雰囲気により与えられます。それは大衆が権力者に簡単にコントロールされるってことですね。
そうやってみんなで目先の利益を追いかけます。その末の戦争。遡ると民主主義はローマくらいから最終的にこの結末です。
そんな結末にしない為に人には信念(アイデンティティ)が必要です。パンとサーカスで喜んでいる場合じゃありません。
好きなことを突き詰めるとその中で好きと嫌いが別れていきます。ボクシングだと、このスタイルは好きだけど、これは嫌い。好きな中でも特にこのスタイルが好き、みたいに。
さらにこれを深めていくと思想が形成されていきます。こんな考え方は好き、これは嫌い。と言う風に。次第に好きなこという枠を超えて生き方に道は繋がっていきます。
子供の内にあれはダメ、これは良いと洗脳するのが良くない。子供の内から他人の価値観に支配されることに慣れてしまうと善悪の基準が育たない。故にその集合である社会は終わる。
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