ケツで打とうとすればするほど、打てなくなるジレンマ

よもやま話
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今回はまた取り留めのない話をさせてもらいます。
ただ最後に僕が今考え始めていることもお話していきます。

タイトルの通り「ケツ(股関節)でパンチを打とうとすれば打てなくなる」です。

以下の記事でも紹介したように運動は無意識下でなければ上手くいきません。
思考が始動動作を弱め、身体の連動を邪魔してきます。

例えば形や細部をいちいち想像しなくても字は書けます。
頭の中でイメージするだけです。
細部をイメージしながら字を書くのは不自然です。
むしろ書きにくい。

同じようにケツで打とうとすればするほどパンチは打てなくなってしまうんです。

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考えるな感じろ

難しいのは練習中の意識的な動作ですら、『癖』になってしまうことです。
「こうやってこうやって」とか「こう準備して」みたいな思考の悪癖は試合ではなく練習で身についてしまうんです。
練習の悪癖は当然試合で顔を出します。

ただでさえ緊張感のある試合です。
動作中や動作前に考えてしまうと、100%でやろうとすると、余計に動作がぎこちなくなる悪循環に陥ってしまいます。

だから、最近は練習中でも考えてはいけないと思い始めているんです。
でも正しい動作を身につけるにはその動作を丁寧にやらなければなりません。
当然反復した動作が無意識にできるようになることは知っています。
だから最初は反復すればするほど無意識下でできるようになるだろうと考えていたんです。

でも、ボクシングの動作は複雑で順を追ってやろうとすると思考の癖が一緒に身についてしまうんです。
僕の性格なのかもしれませんが、ついつい「今ミスったな」とか邪魔な思考が湧いてくるんです。
当然試合中は感覚にノイズが混ざってしまうので、それを取り除き修正することは必要なんです。
でもそれは本質から遠ざかる気がするんです。
何故なら試合中に細部を直す時間はないからです。
相手が強ければ強いほど、そんなことは考えていられないんです。

細部を意識せずとも全体を一瞬でリセットできなければならないと、つまり、「どこがミスっているのか分からんけど、こうすれば全体が一発でリセットできる」という状態について最近は考え始めています。

脱力か

力を抜く。
これじゃないのかと考えているんです。
力を抜くって言うのは「フゥー」と深呼吸するような単純なものではなく、全ての筋肉をニュートラルに戻すという本当の意味での脱力です。

以下の記事でもお話していますが、脱力さえすれば体の連動も筋力も質量も意識せずとも身体をナチュラルに動かせるのではないかということなんです。

ただ前へ進むという意識だけで速く走れる。
この状態が理想なんです。
あれやこれやと意識しなくても「速く動こう」という漠然とした意識で自然と体が動いて相手を殴れる。

でも前へ速く殴ろうという単純な意識だとイメージが曖昧過ぎて身体の動きがバラバラになる。
そしていちいち細部を意識している時間はない。
ジレンマです。

股関節でパンチを打つのは大切なんです。
でも、僕が今考え始めているのは「漠然とした意識では焦ってミスする」という考え方から、さらに一周して無意識で相手を殴れなければなければいけないということです。
股関節でパンチを打ったことがない人でも「パンチを打つ」という意識だけで自然と股関節でパンチが打てる。

それが理想じゃないのかと思うんです。
脱力と最初の姿勢が鍵だとは思うのですが、本当に脱力すればパンチは出せません。
立っていられません。

本当に取り留めのない話を聞いていただきありがとうございます。
僕の理想は「無心で相手を殴れる」です。

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Die Hard – ダイ・ハード
この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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