よもやま話 もしかしたら本当にできちゃうかもしれないよ 我が道を行け 長濱拳法の目的は、ボクサーを「正しい生き方」へではなく、「我が生き方」へ導くこと。 ボクサーに要求するのは意地を貫き戦って死ぬこと。 モハメド・アリのように、例え相手が世界最強の権力であろうとも、「俺はベトコンに恨みはねーんだ... 2025.02.20 よもやま話メンタル
よもやま話 何があなたを妨げているか 偶有性 僕は、指導ではボクサーの認知の歪みを取り除くことに主眼を置いています。それがヒトの持つ、本来の動物としての知性と体力の解放を妨げていると感じているから。 ボクサーに「確かにそんな視点もありたな。」 と感じさせること。 それはボクサー... 2025.02.19 よもやま話トレーニング
よもやま話 大規模言語「私は誰だ。ここは何処だ。」 ヒト「大規模言語って人みたいだな...。」 ヒト「はて、私が大規模言語ではない保証はどこだ?画面の外から誰かに見られているのではないか?記憶が存在の証明?その記憶が作られた可能性は?」 ヒトor大規模言語「私を『私である』と証明してくれるも... 2025.02.17 よもやま話
よもやま話 手売りを変える その二 チケットの手売りをどうにかしようぜ問題。 団結する 団結権はチケットの手売りに限らず、あらゆる困難を解決する手段として日本国憲法で保障されている日本人の権利です。 団結権は、日本国憲法第28条で保障されている労働者の基本的な権利です。労働者... 2025.02.14 よもやま話
よもやま話 来るもの拒まず、去る者追わず 寓話や神話は社会的真理 神話やことわざなどの伝承の類は、社会的な法則性を伝えてくれているのだと最近は感じます。 ウサギとカメ、アリとキリギリスは、神から忍耐力を与えられた人種が他を圧倒するポテンシャルを持つこと、そして、その人種には社会を牽... 2025.02.10 よもやま話メンタル
よもやま話 我、神仏を尊びて、神仏を頼らず 宮本武蔵の言葉。 我、神仏を尊びて、神仏を頼らず カッコイイですね。矛盾するようでいて真理を表している含蓄のある言葉だと感じます。 「神仏」は「科学」「お金」「国」「社会」「親」「家族」「友達」などなど、あらゆる言葉に言い換えられます。 科... 2025.01.30 よもやま話メンタル
よもやま話 ロマステップの気持ちと現行の教育と指導観への疑念 ロマの気持ちを考えます。 抽象的な話です。 隠れる 僕は、自分が「守る」時を思い出してみると、「避ける」よりは「隠れる」と表現する方が正しいと感じます。あるいは「嫌がる」です。 今回はその話。 以上の僕の感覚、ないしは一流ボクサーの観察や指... 2025.01.27 よもやま話トレーニング運動理論
よもやま話 人生の無駄遣い「モヤモヤする」 個人的な体験を例に「モヤモヤしている時間」が、人生においてどれほど無駄であるのか、を主張します。 モヤモヤ≒人生の無駄 僕は20代の後半から投資をしています。歴は五、六年になります。 「儲かりそうだなあ」と感じた資産に資金を移動させるか、あ... 2025.01.24 よもやま話メンタル
よもやま話 遠ざけるべき態度 「トレーナーに〇〇と言われました。間違えていますよね?」 「〇〇と✕✕と△△をしています。強くなれますか?」 「僕の〇〇はどうですか?できてますか?」 知らんがな。教えて欲しければ金を払え。 自らの意思で「どうしたいのか」「どうすべきなのか... 2025.01.08 よもやま話メンタル
よもやま話 「願い」が「思考」を遠ざけてる 願望を遠ざける 普段は「言語化すると上手くならない」と主張していますが、今回は逆の「言語化しなければ上手くならない」という、前者と矛盾する主張をします。 厳密には、言語化しようとするとフローが失われて上手くいかない。しかし、言語化しないと悶... 2025.01.07 よもやま話トレーニング技術
よもやま話 大先輩の生き方に学ぶ知性 どうしてヒトは今の形になったのか、ボクシングはどうして今の形になったのか、何故大型の二足歩行の哺乳類はヒトだけなのか、二足歩行とは何なのか、二足で立つとは何なのか、何故子供にはスポーツと手遊びをさせるべきなのか、何故歩きスマホしてしまうのか... 2025.01.05 よもやま話戦略技術
メンタル 可能性に心を開くディフェンス 可能性に心開く 「可能性に心を開く」は、僕が苦手なことです。でも、それはこのブログで再三伝えてきたように、非常に大切なことです。それと比較するなら、個々の技術論は無価値です。 可能性に心を開くことは、きっと読者のみなさんも苦手だろうと予想し... 2024.12.25 メンタル技術運動理論