仏教哲学

よもやま話

固定化=腐敗

何が社会と個人の腐敗を招くかの長濱説。 現象は流動的 「現象は流動的である」という前提があります。ボクシングというスポーツには形はありません。本来は戦う相手との状況に応じて、そしてボクシングという世界の環境に応じて変化していくものであるはず...
よもやま話

自己喪失と社会の暴走

子供の頃から沖縄戦の話は学校の教育や身近な老人から直接は聞いていたはずですが、大人になってから、そして親になってから当時の話を聞いて受ける衝撃は段違い。 当時の小学生から中学生だった人達の証言と米軍の映像記録を元に構成されています。 子供達...
よもやま話

嫌なものは嫌だ戦略

「嫌なものには嫌だ」を認めることが導く結論と「我慢は美徳」という価値観が導かれた前提の長濱説。 「嫌いな人を避けてはダメ」「嫌いな練習を避けてはダメ」「嫌いなことから逃げてはダメ」頻繁に聞く文言ですよね。美徳として強制的に受け入れさせられて...
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よもやま話

計量失格が続くボクシング界にいて感じること

僕が感じていることを共有します。これはきっと、普通の営利企業で働いていてかつボクシングジムへ通っている人なら感じてい人なら感じていることだと思います。 減量の失敗。 何故、続くのか。根本には「知識不足」があり、さらにその「知識不足」という結...
よもやま話

議論の枠組みを疑う

常識や科学などの社会通年は無条件に当然の議論の枠組みとして受け入れられています。 ネットの辺境にある僕のブログへ読者の皆さんがたどり着いたのはきっと、現実を覆っているボクシングジムの様々なマトリックスに違和感を覚えたからではないかと思います...
よもやま話

他人と自分を分離する論理性と機会損失の話

世代間の溝に関する話の続き。 「他人を理解しようと努力する」ことは幼児性を切り離すのに要求される論理性獲得の第一歩と僕は考えています。 互いを認める 世代間の価値観の違いは時代背景に由来しています 物心ついた頃から情報を浴びて育った僕達と情...
よもやま話

嫌いたい奴には嫌わせておけ

パレート分布ってご存知ですか。八対二の法則とも言われます。僕のことを好きな人が二割いれば、残りの八割は僕のことを嫌いな人。アリ(ヒト)の世で生産的な活動をしているのは二割で、残りの八割はその二割の努力に相乗りさせてもらっている。二割の人が世...
よもやま話

危機感が足りない その二

危機感は価値の判断を促してくれます。 危機感が足りない スパーリング大会に出場する予定のボクサーを仮定します。彼はこれが初出場のサラリーマンです。 彼は強い危機感を感じています。仕事が終わると、本当に必要だと感じる飲み会の誘い以外は断り、ジ...
よもやま話

フローはスピ体験

スピ=スピリチュアルです。パフォーマンスを高める脳科学の本に恐らく僕の言うフローの話がありました。 要約すると脳が思考して結論した内容は言語として顕在化しない。感情として感じることだけができる。そしてこの体験はスピリチュアル的に伝わると。 ...
よもやま話

個性について考える

「俺は他の奴らとは違う」って欲求 個性は群れの中にいる個体の生存戦略です。群れの仲間に「俺には価値があるぞ、仲間になった方が身のためだ」を示すためのもの。 だから人は「俺(私)は他人とは違う」と思いたいし、思わせたいいんです。そう思うからこ...
よもやま話

強さを引き出す為の「休み」

メリハリのある生活を心がける 練習も私生活も人間関係もメリハリを大切にしてます。金も時間も。使う所に使う、ケチる所はケチる。メリハリがないと何事もダメになるって経験則があるから。ダメになったら捨てます。そして捨てたら振り返らない。思い出して...
よもやま話

強くなるフィードバックループの長濱説

強い人と弱い人を決めるものについて考えます。 まずは運動から。 「骨で動かす」と「筋肉で動かす」 それが子供の頃から当たり前過ぎるとか、筋肉で動かす局面を抜け出せていないなどの場合「骨で動かすってどうゆうことやねん」と感じると思います。 骨...