日本のジャッジは割と公平なので普段海外ボクシングを見ない方は馴染みがないかもしれませんが、ビバメヒコディシジョンに代表されるように、ボクシングは敵地で勝つのは至難の業です。
加えて世界戦で敵地で結果を出し続ける(KOする)なんてのはむちゃぶりです。
タイでの日本人の世界戦は散々。
しかしその不利をいとも簡単に乗り越えていくのがGGG。
結果出し続けるおじさん
BocRecによると暫定タイトルを2010年に獲得、そこからほぼ世界戦のみを戦い続けて結果を出し続けています。
敵地で結果を出すってのは恐らくメイウェザーにも不可能です。
メイウェザーはホームであるラスベガスで戦い続けてきました。
敵地ならマイダナ戦は負けにされていただろうし、それ以前にも土をつけつけられていたはず。
メイウェザーは接戦も多かった。
階級を上げてからは基本的にKOから遠ざかっています。
敵地で勝つならKOか圧倒。
GGGは並みいる強豪を相手にそれを達成し続けてきました。
カネロとの初戦はビバメヒコディシジョンによる影響が大きかった。
世界戦が続くと普通はKO率が下がっていきます。
世界レベルの相手と戦うからです。しかしGGGは連続KO防衛。
ずっと対戦をビッグネームから避けられてきました。
カネロ、ジェイコブスとの対戦が実現したのは、GGGの強さを無視する彼らに浴びせられるファンからの批判をついに無視できなくなったからです。
カザフスタンという小さな国出身でメキシコ人のように相手を自国、またはメキシコ系アメリカ人の多いアメリカへ呼びつけるような政治力はありません。
GGGは誰の力も当てにせず、己の腕力のみを頼って敵地でノックアウトし続けました。
今回もそうです。GGGは日本へやってきて金メダリストと戦い、ノックアウトしてみせました。
僕がボクシングを見始めた頃はSNSはmixiとかモバゲーくらいだったので情報収集は主に2chみたいな掲示板だったんですが、そこには今のTwitterみたいにボクシングのマニアが集ってあーだこーだ言ってました。
その時はフリオセサールチャベスJrとセルヒオ・マルティネスらが世界中量級のトップ選手だったとの記憶がありますが、マニアが集う2chでは「ドイツにヤバイロシア人がいる」との噂が立ち始めていました。
上記のアメリカで戦う人気選手はゴロフキンの挑戦を避けている、逃げているが枕詞でした。
カネロと当時のゴロフキンの評価は圧倒的にゴロフキンが有利。
というか、マニアの間ではカネロでは「お話にならない」と言われていました。
確かゴロフキンが30歳くらいの時にアメリカのメディアでもヤバイのがいるぞってことで話題になり始めて、30歳にしてようやくアメリカへ渡って、ゴロフキンはKOの山を築いていきました。
ヒスパニック系とアメリカ人の心をくすぐるマーケティングだとは思いますが、アメリカでは”BIG DORAMA SHOW”と”Mexican style”を連呼。
英語もどんどん流暢になって、カザフスタンって経済規模も小さいし、アメリカへの移民も少ないでしょう。
アメリカのファンを引きつけるのに相当な苦労があったはずです。
私生活で酒飲んで普通の女性を殴る(セルゲイ・コバレフ)みたいなこともないし、相手を口汚く罵る(セイルゲイ・コバレフ)ってこともないし、相手によってはリスペクトを欠いてコンディションが変わるような(セルゲイ・コバレフ)こともなく、常に最高のコンディションを作り上げてきます。
目には見えないので想像をすることしかできませんが、僕ら常人では耐えきれないほどの苦労を味わったからこそのジェントルマンシップなんだと思います。
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