手打ち打法
議論の要点まとめ
「腰で打つ」とは抽象的な運動連鎖の比喩である
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本質は全身の連動: ボクシングにおける「腰を回す」という表現は、個々の関節の動きを意識するのではなく、**足元から発生したエネルギーを体幹(腰)の強い回転を通じて、腕へと伝える一連の「運動連鎖(キネティック・チェーン)」**を指す比喩です。
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運動の本質: 最大のパフォーマンス(強いパンチ)を発揮するために、身体が無意識に選択した、最も効率的な協調構造の結果であり、特別な運動システムではありません。
学習は「手打ち」による補償から始まる
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初期の学習の有効性: 複雑な動作の初期学習において、「手打ち」(腕の力に頼る)は、認知負荷を下げて動作の全体像を掴む上で有効です。
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自動的な追従: 腕の力だけではパンチの運動量が不足するため、脳は目標達成のために、より大きなエネルギー源である体幹(腰)を自動的・無意識的に作動させ、補償する動作(追従)を誘発します。この繰り返しによって、体幹の効率的な使い方が学習されます。
言語化は初期は有効だが、熟練を妨げるリスクがある
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言語の役割: 「腰を回す」という**言語(明示知)は、初心者が運動の本質(体幹の利用)を理解し、非言語的な感覚(暗黙知)を呼び起こすための「引き金(キュー)」**として初期段階では機能します。
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熟練と弊害: しかし、技能が熟練した後に言語で体の内部を意識しすぎると、**自動化された無意識の動き(暗黙知)が妨害され、パフォーマンスを低下させる(再認知化のリスク)**があります。
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最終的な最適解: 運動の本質を保ち性能を最大化するためには、最終的に意識を「腰の回転」ではなく、「ターゲットを突き破る」といった**動作の結果(外的焦点)**にのみ向けることが重要です。

子供は具体的にしか考えられない。抽象的な「関係」を扱えない。
意味を構成する二項関係(二項対立)のような抽象的な概念の認知や操作ができない。
※目に映る要素の間にある、見に映らない何かが関係
大人は「善悪」という評価が当事者の立場や社会的な文脈など、膨大な要素の接続によって既定されることを理解できる。が、子供にはそれができない。
だから、ウルトラマンと怪獣、アンパンマンとバイキンマン、オレタチとアイツラ、日本人と中国人という具体的かつ単純な要素だけに着目してしまう。
だから子供は法則(≒関係)を操れない。
悪は悪だと決めつける。日本人とはこうだ、ボクシングとはこうだ、と単純化して考える。
だから間違える。
「腰を回す」にもこの視点から解釈を与えられる。
つまり、それは具体的で理解しやすく、認識が捉えやすいだけの構造ってだけで、技術的には価値はない。
それは子供にとってのアンパンマンと本質的には同じもの。
大人の視点では、アンパンマンはむしろ、多数派の少数派イジメに見えてしまうように、あるいは多数派に異議を唱えるバイキンマンがヒーローに見えてしまうように、ある対象の具体化(言語化)はその本質を失わせる。それどころか善悪を反転させる。
腰を回す、反復練習、顎を引くなどなど。挙げればキリがない。現実への現れ方は、それらに与えられた意図とは真逆になっている。
「腰を回す」はむしろ、全身の協調性を失わせて目的の達成を妨げている。
「反復練習」はむしろ、試行錯誤により解を引き寄せる過程を見失わせている。
顎を引く、相手を見るはむしろ、防御反射を抑制しディフェンスを失わせている。
以上の議論は、「総体としてのシステムを『言語化』がバラバラにし、その機能を失わせているから」と抽象できる。
これにも「上手くなるには言語化」という一般的なスローガンの矛盾の構造を見いだせる

学校という教育システムが子供の総体としての知能を奪いバカにしている。ここにも意図が反転する構造。思想のない暗記だけのバカ。善悪の判断能力のない大人。
幸せになろうとするから幸せが遠ざかる。
成功しようとするから成功が遠ざかる。
ブッダが見抜いたヒトの認識に埋め込まれた「業(カルマ)」の構造。

スローガンが呪いになる論理。
話が広がりすぎたので戻すと。
そもそも論を言えば、何かを意識することに脆弱性がある。指導者はここから教えるべき。
楽しむことが大切なのは意識を外へ向けさせるから。

一方で、何かを意識してそこに資本を投下しないと差別化ができない。つまり勝てない。
改善策はヒトの認識に組み込まれた構造を理解すること。
意識ではなく、練習の構造に仕事をさせること。
意識的に技を習得❌️
練習の構造に技術を引き寄せてもらう⭕️
これが僕が技術の説明に練習や技術や骨格や筋繊維などの構造を用いる理由。
構造を考えなければならない理由。
だけど、これも自己言及的に破綻してる。
自分の心を自分が観測した時点で元々の意図は壊れる。物理で聞いたことある現象。観測という行為が観測の結果を変える。
意識したことが作用してその性質を失わせる。
だから執着すると破綻する。だけど、執着がなくても破綻する。
正しくは、執着することが理想を遠ざけてしまう、だけど。
結論。目的に集中して雑念をすてろ。
※雑念がないと推進力は消える
最終的な最適解: 運動の本質を保ち性能を最大化するためには、最終的に意識を「腰の回転」ではなく、「ターゲットを突き破る」といった**動作の結果(外的焦点)**にのみ向けることが重要です。



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