ネットを徘徊していたらたまたま見つけました。
凝視による自動制御の説明に近いです。「フロー」というのだそう。
フロー状態へ入るには言語を排除する
完全な主観的体験
上のTwitterの意味を理解するには、僕が「意識」についてどう考えているのかを理解していただく必要があります。
なので、簡単に説明します。
僕の言う「主観的な体験」とは言語が存在しない世界のことを言います。
何故言語が主観と関係あるの?って思いますよね。
これは言語が客観性を作っているって長濱説が元になっています。
下の記事では言語による思考が止まり右脳が活性化した世界が、主観的な体験なんじゃない?って長濱説をお話しています。詳しくはこっちを。
右脳が活性化した体験として最も身近なのが夢だと思います。
思い出してほしいのですが、夢の中では奇妙なことが許されますよね。
そこは物理法則や因果関係と呼ばれる、この世界のほ法則性から完全に切り離された、刹那的な場面が継ぎはぎされたモザイクのような世界です。
ゾンビが街中をうろついていたかと思えば、突然空を飛んでいる。
かと思えば同級生の誰かと恋に落ちていたり。
夢の中では僕らはそれを疑ったり奇妙だと思うことはしません。因果や物理法則などが存在しない、不連続な世界をただただ受け入れます。
夢から醒めた後、つまり後述する「言語の思考(線形の論理)」が覚醒した後なら、奇妙だと気がつくことができますけどね。
今以外に何もなく、雑音が聞こえない状態を「夢中」とはよく言ったものだな、と先人の感性の鋭さには驚くばかり。
この僕たちが良く知っている夢の世界はテイラー女史の左脳が停止した世界の描写と似ていると僕は思います。
「私の魂は巨大なクジラが静かな幸福の海を泳ぐように自由に飛翔しました。そして、私はニルヴァーナを見たのです」
excite
つまり“この場所この瞬間”がすべてであり、映像や運動感覚を通して思考する、巨大なコラージュ。
「映像や運動感覚を通して思考する、巨大なコラージュだという」
「つまり“この場所この瞬間”がすべてであり、映像や運動感覚を通して思考する。」
映像(イメージ)と運動感覚(身体)を通して思考する。
一般的に「思考 = 言語」だと思うので、暗に言語による思考を否定しているような気もします。
そして、この描写は夢の世界そのままです。
この左脳が停止した状態こそが「フロー状態」であり、僕の言う「自動制御」ではないかと思うわけです。
過去や未来から切り離された今だけが写し出されている完全な主観ですね。
言語は顕在意識を作り出している
何故、体が勝手に動くような感覚「自動制御」を覚えるのか。
それは自動制御の世界には言葉、つまり顕在意識(客観性)が存在しないからです。
顕在意識とは頭の中で過去や未来、今を言葉で実況している奴のことで、みなさんの頭の中でも騒がしくしているはずです。
そして、この言語的な線形の思考こそが、過去との連続性(そのように錯覚しているだけかも)によって僕を定義する「意識」だと思うのです。
で、この顕在意識は僕の肉体の主人だと錯覚しているのですが、本当の肉体の主人は別にいます。
僕の肉体の主人は言語を持たないので、存在感がほとんどないんです。
存在感があまりに薄いので、顕在意識はまるで自分が肉体の主人であるかのように振舞っていますけどね。
本当の肉体の主人は言語ではなくイメージや単純な欲求によって思考しています。
既述の右脳の世界です。
怒り、喜び、悲しみ、憂鬱のような心の底から湧き上がってくる感情は全て僕の肉体の主人(潜在意識)のモノで、顕在意識である僕はこれを言語により実況しています。
顕在意識はまるで肉体の主人であるかのよう振舞っていますが、そうではないんです。
あくまでも客観的に肉体の主人の心の様子を実況しているだけ、なぜか自分が主体であると錯覚していますが。
顕在意識には肉体を制御する能力はありません。
言語による線形の論理
顕在意識はペチャクチャしゃべって自分を客観視する、ある意味では第三者です。
自問自答は二つの意識の会話。一方は感覚を通してイメージで、一方は言語で意思疎通しているところがややこしいのですが、この感覚は分かるはずです。
自問自答する時って発した言葉に対して何か、感情とかイメージが返ってきませんか?
そして受け取ったそれを一旦言語に翻訳して、返答しています。
高度な社会性を持つ人は高度な客観性と言語が必要で、その二つが折り重なった結果、意識ってシステムが出来上がっているんじゃないかなって。
もう一人の人格を脳内の仮想空間に作り出すことで自らを客観視、監視できるようにして、群れの除け者になることを避けているわけです。
コンピューターと似ています。
OSとユーザーは中間に用意されたアプリケーションを介してコミュニケーションをとっています。実際にハードウェアに対して命令をするのはOSです。しかしユーザーはアプリケーションが仕事をしていると錯覚します。
それと同じように、意識というのはOS本体ではなく、ユーザーのOSへの命令の緩衝材として機能しているわけです。
「このサイト本当に安全かな?」「保存していないけど終了していい?」みたいなことを聞いてくるアプリケーションですね。コンピューター(肉体)の安全を保持するのがアプリケーション(顕在意識)の仕事で、あくまでも仕事をこなす主体はOS(潜在意識)で別にあります。
シリコンとタンパク質という違いはあれど、安全を保障する必要性から、同じ仕組みが働いているのでは?ってことですね。
※便宜上、顕在意識と潜在意識に分類していますが、あたかもそう見えるだけで本質的には同じモノです。
で、その顕在意識、客観性を司る人格は言語によって生み出されているのじゃないかって。言語は社会性と結びついた領域ですからね。
「私はあなたが好き」
私→あなた→好き
分かりやすく英語にすると
“I like you”
I → like → you
動詞によって前後の名詞の関係性を表す線形の論理です。
要するに、言語を司る言語野は上記のような線形の論理を構築することを得意としていて、それは「過去→今→未来」の予測を行う客観性(顕在意識)の源泉になっているのではないか?ってことです。
“I went to a place where I will never forget becase ~”
言語による思考が上記のような長い論理構造を構築するように、時間をかけることである程度の複雑な未来の予測ができます。
一方で右脳はテイラー女史の言うようなモザイク状の世界観を持っています。
飛び飛びで因果関係などはなく、現れては消えるを繰り返す世界です。
動物や言語を手に入れる前の赤ちゃんが見ている世界もこうじゃないかと思います。
「過去→今→未来」の因果関係に由来した客観性はなく、「今→今→今」で因果関係なんて概念はなく、夢のように突然何かが起こる世界で、常に今に対処します。
言語による実況が止まった世界、つまり顕在意識が手出しできない世界だから、それは勝手に身体が動いているような錯覚を覚えるのではないか?ってことですね。主体は別にあるのに、顕在意識は肉体の主人が自分だと錯覚しているから、この錯覚は起こります。
夢の世界への入り方
以上を踏まえて、フロー状態へ入るためには言語を捨てる必要があるのではないか?との仮説を立てました。お馴染みの長濱説です。
没頭状態を作れば言語は勝手に止まるのですが、いきなりこれを初心者がやるのは難しい。
「殺す」って激しい感情(言語ではない)を知っている必要がありますし、凝視の眼球の状態を知っている必要がありますから。
なので、僕は上記の裏口を使ってみました。
そしたら意外と上手くいったんですよ。
つまり、自動制御が効きやすい。
やり方は簡単で「恐い」「ワンツー」「カウンター」みたいな言語が浮かんできたら、それを掴まえずにすぐに手放します。
もちろん凝視しながら。
繰り返すうちに没頭していきます。
長くなりましたが、以上をやってみてほしいです。
そしてできればインスタかTwitterでどうだったか教えてください。
ところで。
僕が「意識」に興味を持つようになったのはアニメが好きだった10代に「攻殻機動隊 Ghost In The Shell」を見たことがきっかけです。
意識の長濱説に興味を持ってくれた方には見てほしい作品です。
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