【尊大】100kgのデブが新人王になるまで【傲慢】

プライベート
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体重100kgあった俺が新人王になるまでの話を聞いてくれ。

この時は60kgくらいだ。
2か月ほどで100kgに到達してしまった。
小学生の頃は太っていた。
昔から体重が減ったり増えたりで安定しなかったんだ。

6年前、当時体重が100kgありました。
僕はその時幸いにも結婚することができたんです。
ただちょっと妻の目が気になるというか。
優しい妻は『痩せろ』とは言わないんですよ。
だけど、なんか人に会わせるのを躊躇っているのを感じていたんですよね。

高校生の時1年半ほどボクシングを経験していた僕は一念発起して近所の白井・具志堅スポーツジムに入門しました。
ダイエット目的でボクシング始めたので週に1回のペースで通っていました。
ある日サンドバッグを打っていたら具志堅ジムの元会長である具志堅用高氏に「プロでやりなよ」と説得されたんですよね。
多分本気で言ったとは思えないんですが、当時なんの根拠もなく「世界一才能がある」と信じていた僕は本当に軽い気持ちでプロテストを受けました。

そして合格するとすぐにデビュー戦です。

ろくに練習なんかしてないのに何故か勝てると信じていたんですが、試合が近づくにつれてだんだん怖くなってきました。
「うわぁ、なんて馬鹿なことしてんだ」と何度も自分を責めました。

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新人王戦

デビュー戦

大間選手。背丈は変わりませんでしたが、確か3勝2KOの選手だったと思います。

試合当日グローブをはめた瞬間。
人殴っちゃダメな大きさだ大怪我しちゃう。」
と。

試合は恐怖を振り払うかのようにとにかくフックを振り回しました。
インターバル中は『当たりますように』と願いを込めたのを覚えています。

確か2ラウンドか3ラウンドにボディーブローがヒット。
大間選手の動きが落ちました。

いける!やっぱり俺、天才じゃん!

とにかく慌てて攻めましたが、練習不足もあって4回で失速。
自分の浅はかさを恨みましたが、幸い大間選手も効いていたのか攻めてきませんでした。

判定の結果は引き分け。
新人王の特別ルールが適用されて勝者扱いで次へ進むことができました。

2戦目

2戦目は渡邊選手。
4勝2KO1分のアマチュアは国体か何かで3位とかでしたね。
ジムではトレーナーが『アマチュア3位かあ』と言っていたんです。
僕は1戦1分という戦績にも関わらず何故か傲慢になっていて『なめやがって俺の力を見せてやる』と決心していました。
渡邊選手は独特なスタイルでフィリーシェルスタイルみたいな感じでしたね。

試合は決意通り序盤から全力疾走。
2ラウンドまでに2度ダウンを奪う展開でしたが、またも練習不足もあって3ラウンドでまたもガス欠。

息切れで倒れそうになり、またも自分の浅はかさを恨みました。
最後はロープにもたれてレフリーを確認、止められそうになったら暴れる、レフリーが離れたらまた休むの繰り返し。
自滅寸前だったんですが、ダウンもあったのでなんとか判定で勝つことができました。

ガス欠のトラウマは大きくて、1年くらい引きずりました。

東日本決勝

次がアルティン・ペパ選手。
この日の試合のパンフレットか何かに選手のプロフィールが乗っていたんですよ。
好きな選手とかスタイルとかが記載されていて、「ボクシングを始めた理由」って項目があったんです。

長濱陸
ボクシングを始めた理由:ダイエット

アルティン・ぺパ
ボクシングを始めた理由:母国アルバニアは治安が悪く、身を守りたかった。

あぁ…モチベーションがおかしい。やばい奴だ

こう思いました。

片や命を守るためにボクシングを始めた。
片や痩せるためにダイエットで始めた。

あまりに差がありすぎます。
恐怖通り越して笑いました。

ぺパ選手もフィリーシェルスタイルでしたが変則的な渡邊選手より標準的でした。
渡邊選手のスタイルを経験したのと疲労困憊したトラウマを活かして上手く戦えたと思います。
少しでも息が上がると、渡邊戦がフラッシュバックするので。

ジャブが強かったのを覚えています。

全日本決勝

決勝はロックハート・ブランドン・シェーン選手が相手でした。
僕の戦績が2勝1分だったのに対してロックハート選手は6勝5KO3敗で僕の3倍のキャリアがあったんですよ。

いや、新人じゃねぇじゃん。卑怯じゃん

ずっと思ってました。
で、youtubeの試合見るとムキムキで動きもキレキレなんですよ。

絶対に、絶対にパンチはもらいたくないので「塩漬けにしてやるわ」と決意しました。

危険な距離を避けてひたすらボディーを狙い。
後半はボディーでロックハート選手が失速。
計画通り判定勝ちできました。

この試合では一発しかもらいませんでしたが、そのパンチがかなり強かったのを覚えています。
試合が終わった後で眩暈に襲われました。

その後

新人王の頃は一人で練習していたんですが、その後は野木さんと一緒に比嘉大吾と木村吉光と共に練習するようになりました。
ジムはばらばらになってしまいましたが、なんだかんだ未だにみんなで一緒に練習するので5年以上の付き合いになっています。

野木トレの走り込みでスタミナをつけて、自信をつけていったんですがこれがまた別の失敗の始まりでした。
新人王の頃はスタミナと経験不足の不安からかなり頭を使って戦っていたんです。
だけど、スタミナがついて疲れなくなると頭を使わなくなってしまったんですよね。
本当に大失敗でした。

練習でもゴリゴリスタミナで押せました。
でも今になってみると大失敗の始まりだったんだと思います。

この辺の話はまた別の機会にお話します。
あ、そういえば中谷選手も新人王の同期です。

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Die Hard – ダイ・ハード
この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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