
マイダナの喧嘩殴り

マイダナの「実効力≫形」
「正しさ」という檻
僕のブログの読者には常に自分に問うてほしいことがあります。特にプロであるなら。
「何故、ボクシングをやるのか」
安全かつ楽な生き方は他にいくらでもあります。毎年事故で死人が出ます。
なのに何故、あなたはボクシングをやるのですか。
あえて危険な生き方をする理由は何ですか。ここが曖昧なままではあの世で後悔します。
社会に抑圧された心を解き放つことが目的ではないですか。
あなたは何を表現したいのですか。
何を証明したいのですか。
お行儀良くすること、他人に好かれること、怒られないこと、他人に優しくすることがボクシングをやる目的ではないはずです。
トレーナーやスパーリング相手に怒られないように、嫌われないように。
そんなことの為に命を危険に晒してボクシングをしているのですか。
そうであるなら、僕はあなたには別の生き方を勧めます。
戦い
日本人「やうやう我こそは…」
日本人「ムム…大勢で囲むなんて卑怯な!剣も持たぬか!馬から降りろ!」
モンゴル人「ワロタwwwwwwwwww(爆弾ポイー」
これが戦いです。
今回の記事の主題は、マイダナのようなボクシングをやれ、ではありません。
メイウェザーの歯をへし折り、アクセサリーにしてニヤついているマイダナのマインドを見倣え、です。一般的には嫌な奴の嫌われる行為です。
一流は僕ら凡人が恐れて近づこうともしない境界線を平然と越えていきます。
リングは年功序列、優しさ、礼儀正しさなどの社会の常識を捨てる場所。役に立ちません。

「正しさ」という檻、搾取の構造
人の社会構造 リスクを取れる人、取れない人 義務教育で学んだと思いますが。 端的に言うと経済は、リスクを取れる人がリスクを取りたくない人を使役する上手さを競うゲームです。 資本家が株式会社の所有者で、彼らが経営者を選び、経営者が従業員を選び...

ボクシングという檻から出る
執着が少しづつ削ぎ落とされる毎に、ボクシングが所謂ボクシングという形をとる必要がないことを感じるようになってきました。 ボクシングに決まった形はない 流体を流体として扱えるか パンチは大雑把にフック、アッパー、ストレートだけ。たったこれだけ...
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