顕在化した客観的な意識と潜在化した主観的な意識があるのって不思議だなあってよもやま話です。
他人に話してもほぼ理解されません。意味不明でほぼ狂人扱いされるのでブログでこのストレスを吐き出します。
意識
僕の言う意識というのは頭の中にいる「主観を客観視」している奴のことです。
主観の客観視とは、「今『自分』はこう考えている」「今『自分』はこう感じている」「これを『自分』は綺麗だなと感じている」「これを『自分』は好きだと感じている」と勝手に誰かの心を覗いてモニターして実況している奴です。
いや待て、お前は俺だろう。何故他人事なんだ?お前は一体何者なんだって思うんです。
自分を客観視しているもう一人の自分を感じるんですよ。
ぼーっとしているなら、お前もぼーっとしているはずだろう
「今『自分』の頭はぼーっとしている」と感じることってありますよね。
これが気持ち悪いポイントです。
まて、頭がぼーっとしているなら、お前もぼーっとしていなきゃおかしいだろう。
ぼーっとしている奴がぼーっとしているなんて思うわけがない。
何を言ってんだこいつは…と。
簡単にコンピューターで説明します。
コンピューターは処理速度を制限されていることには気がつきません。
当然です、80%にハードウェアの処理速度を制限されたなら、コンピューターの主観にとってはそれが100%なんですから。
10%に落とされても主観的には何にも変わらないんです。
コンピューターは主観的には100%を実現するんです。
コンピューターから出力を受け取る僕たちは客観的に「重くなったな」とは感じますよ。
でも、コンピューターが主観的に「重くなったな」と感じるはずないんです。
重くなったなかどうかを判断するソフトウェアも一緒に重くなるんですからね。
主体であるはずの僕が内部の状況を俯瞰して客観的に「なんかぼーっとしているな、アイディアが浮かばないな(処理が進まない)」と感じるんですよ。
あなたの頭にも「今こう考えている」「今何々をしようとしている」みたいに実況してるやついませんか。
こいつって人の頭に勝手に相乗りしているだけなんじゃないかって錯覚が起こるんです。
なんで主観以外の客観がいるんだろうって不思議に思います。
コメント
その客観という言葉で、実物として具体的なものとしてなにを言おうと、なにを指し示そうとしているのか、その言葉を使いたいときに誰がなにを見聞き体感しているのか等々
同様にその主観という言葉では、実物として具体的なものとしてなにを言おうと、なにを指し示そうとしているのか、その言葉を使いたいときに誰がなにを見聞き体感しているのか等々
を考えたり感じてみたら、またひとつ発想に変化があるやも知れません
すみません。
意図が理解できませんでした。