ガラクタの会話

よもやま話

最近、僕が感じていることを共有します。

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無意味な会話

会話の中に潜む無責任を最近は頻繁に感じます。

根拠(経験含む)に基づいた話、と言うよりはむしろ、常識と呼ばれる念仏を唱えているか、空想を話している風だから。

特に多感な子供達への大人の影響力を考慮するなら、少なくとも自分自身でそれを証明できる程度の結論だけを伝えるぺきだと感じます。

例えば、僕の娘が真剣に取り組んいることに対して、大した技量も知識も持たない、それどころかそれを手に入れようと藻掻く熱意すらも持ったことのない大人が軽々しく助言をしようなどは、親の立場としては絶対に許しません。例え親であったとしても、軽々しく子の人生に干渉して良い理由はないのだから、他人であれば尚更です。

落書きしかしたことのない人には落書きしか教えられません。絵画を教えようなんてもってのほか。
僕は落書きしかしたことがありません。絵を学ぼうと思ったことすらもありません。だから、絵を学ぶ人の技術に言及する資格はありません。むしろ絵の楽しさを教えてもらう立場です。僕にできることがあるなら、その人が歩いて行こうとする道との向き合い方を伝えるくらいです。僕の構築した哲学がそれを聞いた人の苦悩を和らげ、苦境を乗り越える手助けになればと願いながら。ただそれを活用するかどうかは、それを聞いた人次第です。使うなら使えばいい、そうでないならそれで構いません。僕の干渉して良い範囲を越えています。それ以上に踏み込むのは無責任です。

間違っても素人の僕が他人に絵の技術を教えようなどとは思いません。そんなことは許されないと感じるからです。

しかし驚くことに、どうやらそうではない人達がいる。
素人同然の知識と技量で、画家を目指す人の絵を評価してよいと感じている人がいるのです。しかも悲しいことに社会の大多数がそうなのだと感じ始めていています。

僕はこの疑問を解決する為に以下の結論を導き出しました。
それは、この手の人種の会話の目的は『「問題の解決」ではなく、「序列の確認」である』ということです。

助列確認の儀式としての会話

コミュニケーションの目的は基本的には二つだと僕は感じています。

「問題の解決」と「序列の確認(共感)」。
既述の無責任な主張をする人達の目的は前者ではなく後者だと結論しています。

絵の技術を評価するにしても
「こうした方が良いよ(俺の方が上)」
「なるほど(あなたが上)」
この儀式が行われていると捉えるなら、一見するとめちゃくちゃな主張に妥当性が与えられると感じています。この手の人種は会話の目的自体がそうだ、という結論です。つまり朝起きてから夜寝るまで、問題解決の装いをした序列の確認に終止している、と。それも自覚なくです。暗黙的にではあるものの共感だけが目的だから論拠が曖昧なままでも普通に会話が進められてしまうんです。

井戸端会議と言えば分かりやすいと思います。ゴシップや噂話に熱中する人達は、その社会的な影響やそれが起った過程などには興味はなく、それを聞いて自分が感じたことを共有することに興味があります。「許せない」とか「すっきりした」とか。例えばガーシーに熱狂した人達。

他人の絵の技術を批評し助言してしまえる素人の会話は、上記のゴシップを共感したい、という文脈と似ているのではないか?と感じるのです。「存在を認め合い、仲間である確認がしたい」という無意識下の感情。問題の解決は目的としていないのです。

例えば、積極財政などの大衆迎合主義的な主張は、それの言葉としての意味を伝えているのではありません。「政府の財政が悪い(あなたに共感します。あなたは悪くありません)。」
と共感を示しているだけです。言葉自体には意味がないのだとすれば、バラマキが担ぎ上げられるのにも納得できます。
歴史的な大衆化のサイクルから推理するに、共感してもらうためだけに生きている人達はかなりの数います。

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問題解決勢と序列確認共感勢とでは当然に話は噛み合いません。
問題解決勢「かくかくしかじか…でインフレのリスクが高まる」
共感勢「あたちは悪くないんだもん!悪いのは財政だもん!」
噛み合わないのはこの構図だからだろうと。
一方は問題が起こることを懸念している。しかし一方は「誰それが悪い(私は被害者悪くない)」と共感を求めている。この不毛な議論は終わりません。
ネットの辺境のこのブログまでたどり着く読者なら、身に覚えのある話ではないかと思います。

これが社会的な問題が起こる一因だろうと考えるようになっています。

この手の人種に対しては、大人なら「付き合わない」と結論して距離を置けます。
しかし子供はそうもいかない。年長者が単に序列確認の為だけに「こうすべき」と発した言葉を、そのまま問題解決の手段と受けとってしまう可能性があります。

現実的には無意味どころか害をなす主張を受け入れてしまえば損害が生じてしまいます。
問題解決を図ろうとしている子供だけが一方的に、です。

序列確認の会話である認識すらない

ここまで述べれば理解してもらえるのではないか思いますが、問題を導いているのは、助言の形で序列確認を行った人がその行為の暗黙の意味を認識しないことです。彼は本気で利益を差し出したと錯覚しています(本能レベル)。

しかし、当然のこととして妥当性のない主張は時間の経過と共に見破られます。この場合はその助言を受けた子供にそれを拒絶されます。
するとどうなるか。
「どうして親切を踏みにじるのか(序列を認めないのか)」
と助言(序列確認)をした人は怒り出します。現実だけを見れば、彼は単に子供に損害を与えようとして、それを拒絶されただけです。

しかし、彼の認識は異なります。彼は親切を無下にされたのだとしか感じられません。結果としてそれは争いを導きます。

これは世界中で起こっいると思います。わかりやすいのが米国のトランプ(保守)支持とリベラル支持。主張が相容れないのは、保守は共感を求め、リベラルは現実的な問題の解決を目的としているから(民主党の支持者にも共感型は当然にいる。多分半分はそう)。
誤解のないように付け加えると、トランプ元大統領は問題を解決しようとしているはずと僕は感じます。ただ問題はその支持者。彼らは自分達に共感してもらえたと思っている。

これは遺伝子レベルでそうなっていると予想しています。ある主張が受け入れられるには、論理的な妥当性や現実との整合性が求められる、という認識を持てない個体がいて、それは知能の正規分布に現れているのではないか?と僕は予想しています。

その個体は群れの中での序列争いのコミュニケーションに終止するようプログラムされていて、因果関係や論理的な推論という認識自体が持てない。そして僕の感覚として、それはかなりぶ厚い層になっている。
僕の経験的統計が正しいならほとんどの人種は「共感序列確認型」で、分布のぶ厚い層を形成しています。

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Die Hard – ダイ・ハード
この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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