天才と凡人って何が違うんだろうって考えることがあります。
「結果が全て」と言われればそれまでですが、天才と凡人は何が違うのかを考えることは楽しいし価値があると僕は思っています。天才の価値観を形成する発想が理解できれば、凡人も天才に近づけるのではないかと信じるからです。
足し算と引き算
凡才 = 足し算
僕は足し算での問題の解決を試みるのが凡才だと考えています。足し算で色んなアイディアを継ぎはぎした結果、ごちゃごちゃとしたモザイクが出来上がってしまう。当然思考はまとまらず、何か言い訳を繕って問題を放置。時間だけが過ぎる。そして、途方に暮れる。
別言すると足し算的思考は既存の枠の中での思考です。与えられた環境と道具を組み合わせて結果を出そうと藻掻く。何度も何度も失敗するが、自分の住んでいる枠からは出ることを恐れ、そこから出ようとしない。僕にはこの性質がありますので、大半の日本人がそうではないかと予想します。僕は今、この性質を変えようと抗っています。
何かを説明する時、凡人は長い作文を書き「頑張った」と満足します。しかし読む側からしてみれば乱雑な文章は読みにくく、作者の意図は読み取れません。苦労の成果と言えば満足感くらいでしょうか。現実は時間が過ぎただけで何も変わっていません。
天才 = 引き算
凡人が既存の枠組みの中で足し算による複雑な論理で結論を導こうとするのに対し、天才は引き算。つまり新たな枠組みで単純な論理を導きます。
スティーブ・ジョブズ「物理的な付属品は要らん、パソコンの全てをソフトウェアでやれ」
イーロン・マスク「宇宙を移動したらいいじゃん?」
ダーウィン「自然淘汰で知性の出現まで説明できるで」
ニュートン「この世界の運動を説明する方程式作った。ついでに微分で積分まで説明したろ」
凡人の僕にしてみると「いや、どっから?どんな発想?」」って異常性を感じますが、こうやって新たな枠組みを作って、既存の枠組みの無駄を省いてしまうのが天才だと僕は思います。彼らの世界の常識を打ち破る発想には痺れますし、心から尊敬します。
デカルトの「我思う、ゆえに我あり」ニーチェの「深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ」など哲学者や詩人の言葉のインパクトは凄いですよね。それは、ごく短い言葉で自然の雄大さや世界の奇妙さを詰め込んでいるからだと僕は思います。
ダラダラと伝えない。一瞬で伝える。そのために徹底的に無駄を省く。
ニーチェの「深淵」という比喩には膨大な意味が関連付けられていることを感じます。デカルトの探求は書き出せば膨大な量になるはずですが、その探求を全てシンプルな言葉で表してしまっています。
飽きっぽいとかめんどくさがりな性格が引き算的な思考を養う為には重要なんじゃないか感じる今日この頃。
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