深刻なボクシング競技人口減少と亀の如き長濱陸

プライベート

沖縄へ帰ってきてやっぱり深刻だと感じました。
東京でもプロボクシングの新人王戦の参加者がどんどん減って、今では何回も出場してプロで何年もやって、もはや新人じゃねーだろってツッコミ待ちのトーナメントが行われています。

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関係者談

深刻な競技人口の減少

沖縄の知り合いのアマチュア関係者に電話で色々聞いてみました。
率直に言って深刻です。
数年後には沖縄県大会がなくなっているレベル。
現在の出場者は全体で30人程度。
この人数なので当然参加しただけで沖縄チャンピオンということも重い階級では普通に起こります。
僕が取材させてもらった奥武山公園にある奥武山ボクシング会館は練習希望の生徒が今年はたったの一人入門しただけ。そしてその子も今は来なくなってしまったのだとか。

管理をしている現場の責任者である渡辺さんは電気を点けて消すだけという日がもう何年も続いているのだとか。
定年されて勤められていた護国神社も退職されたのでジムには毎日いらっしゃいます。
渡辺さんのブログ
僕が来たことも早速記事にしてくれたみたいで、フェイスブックにも沢山のいいねがついたと喜んでいました。
僕が始めたのは16歳から17歳までの1年間。
なので最後にジムに行って13年程度しか時間は流れていません。
あの頃はジムに少なくとも10人はいましたし、みんなで奥武山公園を走って競争したりしていました。

その頃を思い出して少し寂しい気持ちにもなりました。

一緒に僕のアマチュア時代の思い出話にも花が咲きました。

思い出話

渡辺さん曰く「あの頃の陸は本当にパッとしなかった、良くここまで来れたな」と。
そうなんです。
僕は沖縄の大会ですらボコボコにやられてました。
僕は他のジムの生徒と比較して能力が優れていたわけではありません。普通でした。
今でこそ、そうは見えないと言われるようになりましたが、子供の頃から足も遅かったし跳び箱は苦手だったし、身体能力も優れていない、ボクシングセンスがあるわけでもない、どちからといえば緊張が苦手でメンタルは弱かったんです。
うさぎと亀なら僕は常に亀だったと断言します。
だからこそ現役時代は練習の鬼と呼ばれた僕の努力を渡辺さんは褒めてくれました。

僕がある程度プロで実績を残すことができたのは、ボクシングを徹底的に考え抜いたからです。
「長期的に見れば考えられる奴が勝つ」という信念がありました。
多分父親の影響です。
頭を使う習慣を身に着けた奴が最後は勝つと子供の頃から教えられてきました。

その信念の元、沢山の本を読んで知識を体系化し一貫性を持たせることで一つの理論を構築できました。

久しぶりに初心へ帰る懐かしい話でした。
たまには過去を振り返って思い出話もいいもんです。

自分自身の信念を再び思い出せました。

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Die Hard – ダイ・ハード
この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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